福島仮設調査 自由回答
◆ 75 歳で一人暮らしなので、福祉のお世話になりたいです。(いわき:70代以上・女性)
◆ いつまで仮設にいなければならないの。先の見える復興公営住宅が欲しいです。何やるにも仮住まいでは何も決められないです。(いわき:60代・男性)
◆仮設も慣れてきていいけど、やっぱり今までのように落ち着いて暮らしたいです。気兼ねしないで暮らしてみたいですね。(いわき:)
◆ 壁一枚の隣の声が気になり、今後のこと考えると不安で眠れない生活。眠剤服用中。震度4 の地震気づかず眠っていた。大きな災害があってもそのままあの世かな・・?(いわき:50代・女性)
◆ 国や県に意見。早く見通しを立ててほしい。(いわき:70代以上・男性)
◆ 現在、住宅資金がないため、復興住宅を希望しているが4 町村が一緒に入居すると話を聞いている。できれば町ごとの復興住宅を望んでいる。当初、この仮設に入居した時も同じ町民でありながら全く知らない人ばかりでした。2 年半が過ぎ、隣近所の方と話ができるようになり、できれば仮設ごとの復興住宅を希望する。(いわき:60代・男性)
◆ 高齢の為、公営住宅の居住をお願いします。(いわき:70代以上・男性)
◆ 震災前は家族6 人で生活していましたが、孫が小学生の為、楢葉町波倉では生活ができないと言っています。長男は原発関係の仕事をしていましたが、事故があったため、千葉の方に行ってしまったので今では2 人で暮らしています。夏休みになっても孫たちが帰ってこないのでとても淋しいです。いつになったら家族全員で暮らすことができるのか毎日不安で仮設の部屋からはほとんど出ないです。医者に行くとき以外はあまり外に出ません。一日中テレビを見ているか寝ているかです。
とても辛いです。(いわき:60代・女性)
◆ 生活支援と復興計画。公営住宅の入居希望をお願いしたい。楢葉の住宅においては壊れて住めない。(いわき:60代・男性)
◆ 全然進まない復興に限界です。年齢や健康に対する不安は5 年10 年先を考えると落ち込んでしまいます。自宅に帰れない、家をこれから求める気力もない、夏冬の暑さ寒さをしのぐのは辛いです。最近は忘れ去られたような気になっています。(いわき:60代・男性)
◆ 小さな町は身内に対しては良くし、その他の者たちには本当に不親切である。行政・議会は仲良しクラブみたいなものである。(いわき:60代・男性)
◆ 駐車場1 家庭1 台のみということが問題。ほとんどの家庭が2台以上ある為、無断で駐車場を使用していたり路上駐車が多く危ない。現在も住んでいないのに借りられている部屋がある(仮設住宅内)一時帰宅の時やイベントがある時のみ帰宅している。
◆ 復興公営住宅にも一部屋に2台の駐車場を。
◆ ペットを飼っているので、トラブルがないところへ行きたい。また、マンションタイプではなく一軒家タイプにしてほしい。(いわき:40代以下・男性)
◆ 隣家と生活時間が違うらしく、深夜から早朝にかけての物音で寝不足が常態化している。仮設の為か部屋の傷みが早い。(いわき:40代以下・男性)
◆ 人間いつ死ぬかわからない。仮設住宅で死にたくない。できれば復興住宅で2 間あるところで死にたい。大熊に自宅があるが帰るつもりはない。国も県、町全て被災者の身になって考えてほしい。人それぞれの考えがあるだろうが、上に立つ人はそれなりの立場がある。それを自分の為に活用するのではなく、我々の為に使ってほしい。今の政治は何をやっているのか。アンケート取るのもいいが有効に活用してね!(いわき:60代・男性)
◆ 賠償金に税金をかけないで欲しい。(いわき:50代・男性)
◆ 早く仮設住宅から出て、一戸建てで段差のないバリア風の家に、または復興公営住宅でもよいので早急にしてほしいです。(いわき:60代・女性)
◆ 早く私たちが帰れるのか帰れないのか決めてもらい、次の段階を考えられるようにしてもらいた
い。もう早くしてもらいたい。これ以上、中途半端はいやだと思う。(いわき:50代・女性)
◆ 私の自宅は雨漏りとネズミの大発生で家の中は見るも無惨です。とてもこれから住むことは無理です。私は復興公営住宅への入居を望んでいます。いつ頃まで待てば仮設住宅を出ることができるのでしょうか?(いわき:70代以上・女性)
◆ 政府は我々被災者の生活再建よりも世界各国へ向けての良い顔を(例、7 年後の東京オリンピックを優先)選択したとしか思えない。国民を思いやる政治を行うと発言した安倍首相及び自民党政勧には失望している。もはや我々原発被災者は国のやっかい者なのか…。(いわき小名浜:60代・男性)
◆ 帰宅しない人の補償(植田:60代・男性)
◆ 原発被災者ということ。双葉町には新築12 年の家屋があるのに、避難先(いわき市)に土地を購入し、家を建てるということは「バカ」らしい。しかし、帰れない(3km)現状であればしかたが
ない。一生の買い物をまたしなければならないのは苦しい。国、東電の賠償ではできない。いつま
でも仮設にいて死んでいくのが目に見えている。これらのことを踏まえ、復興に尽くしてほしい。60 歳からの仕事を(70 歳まで)持っていたが、原発事故の為就労不能で3 年で打ち切られた。避難
先では60 歳を超えるとなかなか仕事は見つからない。これからの生活が非常に不安である。復興公営住宅は戸建てでお願いしたい。集合タイプでは入らない。事故前は200 坪の宅地である。本来なら事故前の土地、建物の賠償とはいかないが、同等の生活ができるようにするべきである。これが本来の賠償ではないのか。(植田:60代・男性)
◆ できるだけ町ごとか大字ごとに。(植田:70代以上・女性)
◆ 双葉の生活に戻りたい。私を分かってくれる友人と話がしたい。畑を耕したい。(植田:70代以上◆ 皆がまとまって生活できる分の分譲地の提供はないのか。帰還困難と言いながら何もしてくれな
い。(植田:60代・女性)
◆ 一日も早い復興住宅の建設を希望、願っております。(小名浜:70代以上・女性)
◆ 県外に避難していた時は、支援や情報がほとんどなかった。仮設住宅の造りが良い所と悪い所の差が大きすぎる。犬猫を飼っている家では気兼ねしながら暮らしている。早く仮設から出て新しい住居が欲しい。(小名浜:40代以下・女性)
◆ 原発の災害に合ってしまったのだから、今後の住居や生活にこれから徐々に困ることが多くある住民もあるので、洋野町の様に早い帰町宣言をすると国(東京電力)の賠償が早めに打ち切りとならないように、町の方も考えてほしい。最低でも6年の補償は確保願いたい。(小名浜:60代・男性)
◆ 高齢者優先復興。現状では公営住宅に入れずお墓直通です。(小名浜:70代以上・男性)
◆ 放射能が年間1 ㎜シーベルトより高い状態なので、今後楢葉町上小塙へ帰れるか大変心配である。
◆ 第1 原子力発電所の地下水の状態や放射能の高い現状が大変心配で不安です。(小名浜:70代以上・男性)ある一部だけで復興住宅は遅れていて、仮設住宅は65 歳以上の人が多くあと何年待つのか。亡くなっていく人も多くなりつつあります。(桑折:60代・男性)
◆ 仮設住宅が長引き、高齢者なので毎日のように不安でなりません。早く復興公営住宅に住めるよう望んでおります。(桑折:70代以上・男性)
◆ 仮設には押しつけ的に支援物資が届けられるが、私的には不必要なものが多く、ゴミとして処分するのに良心が痛むことが多々あり、液体になる物は流しから捨て、燃やせるものは不透明の袋に入れ燃えるごみに出す。ゴミも増えて大変です。(桑折:60代・女性)
◆ 仮設の狭さと復興が見えないもどかしさはストレスの原因。ストレスは年月とともに多くなって
いる。何年住んでも仮設にはなじめない。狭すぎる。仮設もだいぶ空きが多くなってきている。現
在住んでいる人達に隣も使えるよう緩和してほしい。友人や子供たちが来ても泊まれない。まだ先
は長い。考えてもらいたい。(桑折:60代・男性)
◆ 帰還困難区域の事がアンケート項目にないようだが、帰還困難区域の住民をどの様に生活再建の方法、また、もうすこし帰還しないのでなく、できないのです。東電から100 年帰れないと言われました。(桑折:70代以上・男性)
◆ 居住制限、解除準備区域の地域でも、県外県内に家を求めた場合でも賠償金を手厚く考えてほしい。
◆ 小さい子供がいる家、今後結婚する若い世代の人達は戻らないと思うので、我々世代も家族が戻らない。浪江には戻りたくとも戻れない。家族がバラバラになるのは考えられない。(桑折:60代・男性)
◆ 国が責任をもって、一日でも早く復興公営住宅を建てて応急仮設住宅から全員を出してほしい。県や町に責任を押し付けることなく先頭に立ってほしい。(桑折:50代・女性)
◆ 現在62 歳ですが、65 歳まで以前の会社で勤務することができましたが、年金受給年齢が65 歳で満額ですが、仕事がなく65 歳まで就労できたのが現在不可能になり、就労不能損害を継続してほしいです。
◆ 60 歳を過ぎたらなかなか以前の仕事がありません。こういう人がたくさんいると思います。仮設
住宅あと何年住むのか分からない中で毎日毎日不安です。早く復興住宅か元の家のような住宅に戻りたいです。早く復興することを願っています。(桑折:60代・男性)
◆ 現在住んでいる地域に復興公営住宅を作って欲しい。(桑折:70代以上・女性)
◆ 現在我が家は居住制限で自由に出入りができますが放射線が高いため不安です。いつ戻っても良いように掃除に帰りますが、こんなに高い線量なのに帰れと言われても戻れるはずないでしょう。(桑折:50代・女性)
◆ 原発事故(人災)と震災(天災)は別なのでアンケート調査の主旨が問題。(桑折:60代・男性)
◆ 原発事故が終わらない限り何も始まらない。(桑折:60代・男性)
◆ 原発事故にて同じ被害を受けているのに、格差が大きいのは違和感があります。(桑折:60代・女性)
◆ 原発の安定化への計画は分かりますが、現実的に可能なのか、何年かかるのか?そうした場合の町の今後の方針が見えない。インフラ整備が可能なのか。実際、土地を購入、新築している。
◆ 町の執行部、町職員が多いことが仮設の中でも生活に出てくるので、私は3 年以内に自分で判断して行動するつもりです。(桑折:60代・男性)
◆ 原発の問題が終わらない限りだめです。(桑折:50代・女性)
◆ 今回のアンケートの結果を活用し、復興の推進をしていただきたい。1 日も早くすべての問題を解決し、高齢者等の生活の目途をたてることが大切。(仮設住宅で亡くなるなんてとんでもないこと)(桑折:60代・男性)
◆ 災害の前に働いていたので2 年だけの就労保障だけでは足りません。あと2 年だけでも保障してほしいです。貸家の人は土地や家がありませんので何とか保証してほしい。(桑折:60代・女性)
◆ 自己責任でなった事故なら受け入れなくてはならないけど、今の場合はどこに思いをぶつけたら
いいのか?それでも受け入れないといけないのでしょうか?いつまで仮設生活をしないといけない
のか先が見えない。(桑折:70代以上・女性)
◆ 新築をしたくて始めたわけではありません。今まで住んでいた家に戻れないのでやむを得ず辛い気持ちで新築をしようと覚悟したのです。借金をしながら家を建てるほど辛いことはありません。
◆ たとえ、除染しても帰れる見込みはありません。なんとか新しい道を見いだせないかどれほど悩んでいるかしれません。国でももう私たちを忘れてはいませんか?オリンピックもいいでしょう、で
も私たちの方へ目を向けてください。何よりお金がなくては前へ進めないのです。これから先どう
なるのか不安が大きいです。一度仮設の生活をしてみてください。体験しない人には何もわからな
いです。心も体も限界です。(桑折:70代以上・男性)
◆ だんなが病気に入院しているので復興公営住宅伊達郡桑折町の公営住宅に入りたいです。よろしくお願いいたします。(桑折:70代以上・女性)
◆ 同居する家人と意見が違うことが一番きついです。(桑折:50代・女性)
◆ 早く仮設住宅から復興公営住宅へ行かれるよう願っています。(桑折:60代・女性)
◆ 不安ではあるけれど行くしかない。本当は福島にいたい。(桑折:60代・女性)
◆ 復興住宅に移った場合、いつまで居れるのか。または復興住宅へ移ったら生活資金は打ち切られてしまうのではという心配があります。(桑折:70代以上・男性)
◆ 復興住宅を早く建ててほしい。もう2 年9 か月もたっているのにいつ復興住宅建ててもらえるかはっきりしてほしい。よろしくお願いします。(桑折:60代・男性)
◆ 故郷浪江の復興を早くお願いいたします。(桑折:70代以上・男性)
◆ 広い復興公営住宅を建ててほしい(浪江(二本松):40代以下・男性)
◆ 一日も早く復興住宅に移りたいです。(二本松:50代・男性)
◆ 帰還しない住民への支援賠償は100%必要だと、そのうえで帰還する住民にはそれ以上、150%の支援賠償が必要だと。福島県人、避難前の住民になり(原発避難地区)浪江町をなくさないとしているのだから。(二本松:60代・男性)
◆ 現在の心境はこれから先が見えない。高齢者の為、早い復興を望む。早く安心して生活を過ごしたい思いです。子供が必ず帰ってくるかが心配です。(二本松:70代以上・男性)
◆ 自宅に帰る気持ちでいます。(別に家屋は被害なし)その時が来るまでは復興住宅に入居する予定。(二本松:60代・男性)
◆ 自治会とは名ばかりで、役員のみの意見ばかりが反映され、仮設住民全員の希望等は一切、考慮されていない。浪江町行政の立場から自治会の本来の在り方、運営方法等指導すべき。(二本松:60代・男性)
◆ せっかくのアンケートであるが、高齢者に対しては難しい文面が多く記入に疲れた。つまり、避難者の実態を十分承知していない頭の中だけのイメージで作った質問のように受け止められた。仮設住宅地へ足を運び、面談をした方がより良好な調査が得られるのではないかと思う。(二本松:70代以上・男性)
◆ 正しい情報が欲しいです。どことどこに復興住宅ができるのか。いつ出来るのかが欲しいです。(二本松:70代以上・女性)
◆ 浪江町が仮に中間貯蔵所の話は部外者としては絶対反対をしてほしい。原発当事者の町だけで、今まで交付金を多く受けてきた。しかし、我が町は少ししか受けていない。コンパスで計って距離で同意を得るような話になっていかなければならない。高線量汚染地域(面積)では、大熊、双葉
より(足しても)浪江の面積汚染は大きいではないか。住宅建設は反対します。バラバラに市町村
に配置されることは市の滅亡です。いわき太田駅、日立木駅周辺に大規模団地を造成、分譲することが良い計画だ。誰が計画しているのか分からないが、発想力、計画能力が足りない。だから進まない。本気?いわき市内では旧ゴルフ場に住宅を!3地区で双葉郡を3 つに整理できるではないか。何も考えていないということ!(二本松:50代・男性)
◆ 復興住宅ができても全員が入れるわけではない。仮設に住んでいる人は今後どうなるのか不安である。狭い部屋に帰れるまで住み続けるしかないのかなと感じている。長期間帰還できなければ帰らない人が多数出ると思う。そうなった場合、自治体として成り立たないと思う。今後どうなるのか不安である。(二本松:50代・男性)
◆ 復興の遅れ(公営住宅等)(二本松:70代以上・女性)
◆ 前までは補修したら家に帰れると思っていました。25 年3 月に帰った時は「ねずみ」が1 匹死ん
でいましたが、8 ヶ月ぶりに帰ったとき、6 畳2 間がねずみのふんでいっぱいで、帰ってもリフォー
ムか取り壊しか、いつ帰れるかわからないので夢も望みもないので、だんだん死に向かっていくだ
けで毎日が楽しくないです。(二本松:60代・女性)
◆ 私は50 年以上、浪江で自営業をしてきました。帰宅して営業を始めたく、毎日家のことを考え暮
らしています。一年でも早く帰れるようにしてほしい。権現堂の除染もだいぶ遅れているようです
が、早く早く出来ないものなのですか?(二本松:70代以上・男性)
◆ 復興支援住宅を早く建ててください。食料品等の店も早く作って欲しい。できれば住民も戻ってく
ると思います。(福島四倉:70代以上・男性)
(一般大段法人ダイバーシティ研究所調べ)
2014年4月22日火曜日
2014年2月22日土曜日
川内村支援物資の配布
川内村(人口3,000人)は原発から20-30kmに位置していますが、1年前に避難区域解除になり、また、村長さんも帰村宣言をしたことにより公的補助金は打ち切られました。しかし、1年経って帰村した人は約半分の1,000人。戻っても家財道具や布団・衣類は汚染されているので破棄しなければならず、また、2年間も無人だった家は荒れ放題。年金暮らしの高齢者にはその暮らしも大変です。そんな窮地を知ったNPOから、私のところにも支援要請が入りましたので、お米を5kg x 250軒分用意しました。また、支援物資もたくさん届けられました。たくさん集まりましたので、いよいよ2月22日(土)に川内村の体育館で配布することになりました。
これを指揮してくださったのは川内村仮設の自治会長の志田さんです。大役、本当にお疲れ様でした。
志田さんからの伝言です。「皆様から寄せられた物資は一つも横流しすることなく、村民の方々に渡しましたことをご報告申し上げます。」この言葉の裏には、物資が届くと担当者が良いものを先に取ってしまうということがどこの世界にもありますので、志田さんはそれは絶対に避けたいとの信念を貫かれ、行政に引き渡すことなくご自分で取り仕切られた(それは志田さんご自身お若くはないので大変な労働でした)という意味が込められています。
なお、これらの支援物資のほとんどはカトリック教会関係から寄せられました!ご支援ありがとうございました。

雪が解けずに残る川内村。

あまりにもたくさんの温かい支援物資が寄せられましたので、体育館を借りました。

物資の配布方法を村民の方々に説明する志田さん(右端のマイクを持った方)
他の方々は配布のボランティアの方々です。
「10時開始。衣類は好きなだけお取りください。お米と長ネギは引換券と交換になります。」

体育館に所せましと並べられた支援物資。衣類もジャケット系、セーター系、子ども用、男性用、女性用と分類しました。他に食品(砂糖、乾麺、インスタント食品などなど)コーナー、健康関係(マスクやほっかほっかカイロなど)コーナー、食器類など、充実しています。

ここは衣類コーナー

ここは砂糖やインスタント食品などのコーナー

衣類などは自由に取り放題ですので、たくさんの人でごった返しています。

皆さん、持ってきた袋や段ボールに詰めるだけ詰めて、「いやぁー、重くてもてねぇ!」と嬉しい悲鳴をあげていました。だれも不足することなく十分に行き渡ったので「大成功!」の物資配布でした。

「これ、似合うべか?」

「いやぁ、こんなにもらって...ありがてぇなぁ」

持ち帰る顔も真剣そのもの...

最後に引換券と交換でお米を渡しています。お米の数もちょうどよかったようでした。皆さんに喜んで頂いて、支援者冥利に尽きるというものです。

川内村は二本松市から60kmぐらいの距離ではありますが、道はくねくね、除雪はしてあるものの脇に積み上げられた雪は解けず、道幅が狭く、そんなこんなでたっぷり2時間はかかりました。その帰り道の村の風景です。
これを指揮してくださったのは川内村仮設の自治会長の志田さんです。大役、本当にお疲れ様でした。
志田さんからの伝言です。「皆様から寄せられた物資は一つも横流しすることなく、村民の方々に渡しましたことをご報告申し上げます。」この言葉の裏には、物資が届くと担当者が良いものを先に取ってしまうということがどこの世界にもありますので、志田さんはそれは絶対に避けたいとの信念を貫かれ、行政に引き渡すことなくご自分で取り仕切られた(それは志田さんご自身お若くはないので大変な労働でした)という意味が込められています。
なお、これらの支援物資のほとんどはカトリック教会関係から寄せられました!ご支援ありがとうございました。
雪が解けずに残る川内村。
あまりにもたくさんの温かい支援物資が寄せられましたので、体育館を借りました。
物資の配布方法を村民の方々に説明する志田さん(右端のマイクを持った方)
他の方々は配布のボランティアの方々です。
「10時開始。衣類は好きなだけお取りください。お米と長ネギは引換券と交換になります。」
体育館に所せましと並べられた支援物資。衣類もジャケット系、セーター系、子ども用、男性用、女性用と分類しました。他に食品(砂糖、乾麺、インスタント食品などなど)コーナー、健康関係(マスクやほっかほっかカイロなど)コーナー、食器類など、充実しています。
ここは衣類コーナー
ここは砂糖やインスタント食品などのコーナー
衣類などは自由に取り放題ですので、たくさんの人でごった返しています。
皆さん、持ってきた袋や段ボールに詰めるだけ詰めて、「いやぁー、重くてもてねぇ!」と嬉しい悲鳴をあげていました。だれも不足することなく十分に行き渡ったので「大成功!」の物資配布でした。
「これ、似合うべか?」
「いやぁ、こんなにもらって...ありがてぇなぁ」
持ち帰る顔も真剣そのもの...
最後に引換券と交換でお米を渡しています。お米の数もちょうどよかったようでした。皆さんに喜んで頂いて、支援者冥利に尽きるというものです。
川内村は二本松市から60kmぐらいの距離ではありますが、道はくねくね、除雪はしてあるものの脇に積み上げられた雪は解けず、道幅が狭く、そんなこんなでたっぷり2時間はかかりました。その帰り道の村の風景です。
2013年11月21日木曜日
マリールイーズさん「ルワンダの教育を考える会」主催 岳下住民センターお茶会
| 11月20日岳下住民センターでマリールイーズさんのお茶会が開かれるということで伺いました。 |
| マリールイーズさん。 全国でルワンダの難民の支援のため講演をして回っていらっしゃいます。 |
1965年10月ルワンダ人である父親の赴任先であるコンゴ民主共和国(旧ザイール)に生まれたマリー・ルイーズさん。
1993年5月青年海外協力隊カウンターパートナー(現地協力員)として福島文化学園にて洋裁の研修を受け、1994年2月に帰国するも、同じ年の4月にルワンダで内戦勃発、必死の逃亡を経て隣国コンゴ民主共和国へ。難民キャンプで偶然出会ったアムダの日本人医師の通訳になる。1994年12 月研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日し、桜の聖母短期大学家政科に聴講生として学ばれました。
2000年10月より「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、キガリ市に学校を建設中。
マリー・ルイーズさんは命の尊さ、教育の大切さを訴える講演活動で全国を駆け回っておいでです。
そのようなご多忙中、岳下、飯館、松川の各仮設で震災直後、避難所生活の時期からこのようなお茶会を月一回欠かさず継続しておいでです。
仮設の方々に一枚一枚短冊と鉛筆を配布し、自分自身がルワンダから避難してきて、ルワンダのためのボランティアを始めた体験から、お話しくださいました。
「私がルワンダのためのボランティアを始めた時にこう言って後押ししてくれる人がいたんです。『ルワンダの現状を知っているのはあなただけ、あなたがボランティアをしないで誰がするの。いましなければ、いつするの。だれか代わりに伝える人はいない。今ここ避難先の日本でできることは発信していくこと。気持ちを伝え、視覚で訴えていかないとみんなにはわからないのよ』と。だから自分の生活もままならないけれどボランティアを始めました。だから皆さんも発信してほしいんです。皆さんの素直な今の気持ちを書いてください。気持ちを伝えないとみんなにはわからないんです。」
皆さんが何をお書きになったのかはわかりませんが、皆さん心の叫びを書き綴っていらしたようでした。
そのあとは、メゾソプラノ歌手の紺野由香里さんとみんなで歌をたくさん歌い、マリールイーズさんと原町から毎回駆けつけてくださる「しまちゃん」の冗談交じりの明るいお話にみんなで大笑い。
みなさん、このお茶会をとても楽しみにされているようでした。
| 仮設からの参加者18名。うち男性5名。 社交ダンスでご一緒の女性の方に誘われておいでになったとのこと。 |
| 本日の支援スタッフは6名。 3人の時もあるけれど、今日は神戸・埼玉からもいらっしゃっていました。 |
| 主催は教会ではなく「ルワンダの教育を考える会」です。 でも皆さんにお配りしたクッキーはカトリック松木町教会の信徒の方が焼いてくださったものです! |
| 歌の指導をしてくださった由香里さん、すごくいい声でいやされました! |
| ルワンダの民謡を「花は咲く」にして踊り付きで披露 |
マリー・ルイーズさんは「ルワンダの教育を考える会」のホームページでの「ごあいさつ」の中で以下のようにおっしゃっています。
「私はルワンダの内戦という辛く悲しい体験の中から命の尊さ、平和の大切さを身をもって学びました。
戦争で心身ともに傷ついたルワンダの子ども達に、教室で学ぶことにより、夢を取り戻して欲しいという願いのもとに、ルワンダのキガリに念願の学校建設を継続中です。学校名はウムチョムゥイーザ学園といいます。
平和な日本にいる皆さんだからこそ出来る社会貢献とは何かを考えるきっかけにしていただければありがたいです。
(「ルワンダの教育を考える会」HPより抜粋)」
2013年9月17日火曜日
スポーツキャラバン来る!
「ポイントグリーンスポーツキャラバン」は未就学児から小学生を対象に様々なアスリートスポーツをすることを通して体を動かす楽しさや、ものの大切さ、他人への愛情を伝える全国キャラバンを展開しているNPO法人のグループです。
今回、プロのMTB(マウンテンバイク)ライダーである有薗啓剛(ありぞのけいごう)さんと守上大輔(もりかみだいすけ)さん(K&D)が「二本松カトリック幼稚園」に来て、そのすご技をご披露してくださいました。園児たちは、それはもう大喜びでした。
すご技を見た後は、園児たちがペダルのない、足で地面を蹴って走る自転車に乗って自転車乗りの体験をしました。
『2013年3月、元MTB世界チャンピオンの有薗啓剛氏と守上大輔氏から「福島県いわき市にて子ども達に自転車パフォーマンスを見せ、自転車の乗り方と安全教室を行いたいので、協力してほしい」との依頼を受けました。
福島県内では原発事故以降、外遊びを控える子どもたちが多くおり、運動不足が懸念されています。ポイントグリーンでは、有薗・守上両氏の想いに賛同し、一緒に活動することにしました。
世界レベルのパフォーマンスは子ども達の目をくぎ付けにし、自転車の乗り方、安全教室では元気に自転車をこぎ、大きな返事とともに交通ルールを守ることを約束してくれました。
今年3月、いわき市から始まったスポーツキャラバン。7月から本格的に活動を開始。まずは九州(長崎、熊本、宮崎)9カ所にて自転車教室を開催。その後、千葉県浦安市、宮城県東松島市の子ども夏祭り、福島県(郡山市、二本松市)、滋賀県草津市と全14カ所で活動してきました。
毎回、子ども達は世界レベルのパフォーマンスにくぎ付けです。自分の目の前に自転車のタイヤが押し迫ってきたり、自分の背の高さを超える台に軽々と自転車で飛び乗ったり…。パフォーマンスであこがれの存在になったK&Dと一緒に自転車に乗ります。
最後に、ポイントグリーンでは、園に記念品として自転車を寄贈します。K&Dの約束をいつまでも守ってくれることを願い。」
今回、プロのMTB(マウンテンバイク)ライダーである有薗啓剛(ありぞのけいごう)さんと守上大輔(もりかみだいすけ)さん(K&D)が「二本松カトリック幼稚園」に来て、そのすご技をご披露してくださいました。園児たちは、それはもう大喜びでした。
| 二本松カトリック幼稚園の園児たちに自転車のパフォーマンスを見せるK&D |
すご技を見た後は、園児たちがペダルのない、足で地面を蹴って走る自転車に乗って自転車乗りの体験をしました。
| この自転車はペダルとプレーキがついていません。自分の足で地面を蹴って進み、自分の足で止まります。 だから、誰でも、初めてでも乗れちゃいます!走っている時に足を浮かせば、自転車乗りの感覚が体得できます。 |
福島県内では原発事故以降、外遊びを控える子どもたちが多くおり、運動不足が懸念されています。ポイントグリーンでは、有薗・守上両氏の想いに賛同し、一緒に活動することにしました。
世界レベルのパフォーマンスは子ども達の目をくぎ付けにし、自転車の乗り方、安全教室では元気に自転車をこぎ、大きな返事とともに交通ルールを守ることを約束してくれました。
今年3月、いわき市から始まったスポーツキャラバン。7月から本格的に活動を開始。まずは九州(長崎、熊本、宮崎)9カ所にて自転車教室を開催。その後、千葉県浦安市、宮城県東松島市の子ども夏祭り、福島県(郡山市、二本松市)、滋賀県草津市と全14カ所で活動してきました。
毎回、子ども達は世界レベルのパフォーマンスにくぎ付けです。自分の目の前に自転車のタイヤが押し迫ってきたり、自分の背の高さを超える台に軽々と自転車で飛び乗ったり…。パフォーマンスであこがれの存在になったK&Dと一緒に自転車に乗ります。
最後に、ポイントグリーンでは、園に記念品として自転車を寄贈します。K&Dの約束をいつまでも守ってくれることを願い。」
2013年9月14日土曜日
神学生の感想集
二本松教会を訪れた神学生たちの分かち合いの中で上がった感想です。
・久しぶりに農作業ができてよかった。
・ミサ中に咳込んでいたらトローチをいただいて、地元の信者さんのあたたかさを思い出した。
・放射能は別に気にしていなかったが、普通に生活している姿を見てよかった。
・農作業をさせていただいて、普通の生活ぶりを見て、放射能のことを忘れるほどだったが、富岡は「死の町」ともいわれている。そのギャップに考えさせられた。
・戻りたくても戻れない、心のよりどころを失っている人たちがいる。逆に大内さんのように農作業を通して実践している人もいる。
・放射能は矛盾を生む。放射能は避けるべき敵だが、それと共存していかなければならない。
・長崎・広島もかつては人が住むところではないといわれたが、戦後、東京オリンピックが開催されて復興した。今回もオリンピックが決まって、同じように復興したらと楽観的な気持ちも持った。
・長崎・広島との決定的な違い・・・福島では放射能が出続けている。
・来るまではテレビや新聞を通してのものだった。日常の生活に触れることがなかったが、農作業を通して日常に加わらせていただいた。
当たり前の日常がここにあると同時に、制限を受けている状況。そこに何ができるのかまとまっていない状況。普通に生活している人がいらっしゃることを忘れてはいけない。
・復興が進まない、もしくは現状維持なのだと思っていたが、どんどん悪くなっている状況を富岡町で見た。今の状態から戻すのではなく発展させていくということ
・自分は日頃体にいいことをしているわけではないので放射能も気にしていない。
・放射能により、人々の間に対立ができている。
・津波で流れて終わりというのではなく、まだ続いている。
・まだ怒りや戦いが福島の皆さんの会話の節々に出ていた。誰かが助けの手を差し伸べなければ。
・久しぶりに農作業ができてよかった。
・ミサ中に咳込んでいたらトローチをいただいて、地元の信者さんのあたたかさを思い出した。
・放射能は別に気にしていなかったが、普通に生活している姿を見てよかった。
・農作業をさせていただいて、普通の生活ぶりを見て、放射能のことを忘れるほどだったが、富岡は「死の町」ともいわれている。そのギャップに考えさせられた。
・戻りたくても戻れない、心のよりどころを失っている人たちがいる。逆に大内さんのように農作業を通して実践している人もいる。
・放射能は矛盾を生む。放射能は避けるべき敵だが、それと共存していかなければならない。
・長崎・広島もかつては人が住むところではないといわれたが、戦後、東京オリンピックが開催されて復興した。今回もオリンピックが決まって、同じように復興したらと楽観的な気持ちも持った。
・長崎・広島との決定的な違い・・・福島では放射能が出続けている。
・来るまではテレビや新聞を通してのものだった。日常の生活に触れることがなかったが、農作業を通して日常に加わらせていただいた。
当たり前の日常がここにあると同時に、制限を受けている状況。そこに何ができるのかまとまっていない状況。普通に生活している人がいらっしゃることを忘れてはいけない。
・復興が進まない、もしくは現状維持なのだと思っていたが、どんどん悪くなっている状況を富岡町で見た。今の状態から戻すのではなく発展させていくということ
・自分は日頃体にいいことをしているわけではないので放射能も気にしていない。
・放射能により、人々の間に対立ができている。
・津波で流れて終わりというのではなく、まだ続いている。
・まだ怒りや戦いが福島の皆さんの会話の節々に出ていた。誰かが助けの手を差し伸べなければ。
2013年8月29日木曜日
教育夏祭り2013in福島・二本松
「教育夏祭り」は文部科学省委託事業としてNPO法人日本教育再興連盟の主催で毎年行われています。昨年は福島県二本松市の子どもたちを東京へ招待し、子供たちに普段とは違った環境で自分たちの将来を考えてもらいました。昨年度の参加児童生徒で今年度参加した児童生徒は3名。
今年度は彼らを含め総勢60人以上の児童生徒(小学1年生から中学3年生)が教育夏祭りの中心プログラム「子供熟議」に参加しました(当初、大阪からの小学生の参加を予定していたが大阪からの参加者はいませんでした)。子供熟議の指導にあたったのは学校並びに教員の補助を継続的に行っている大学生スタッフ(大学1年生が中心となっていた)。約半年の準備を経て今回行われました。
NPO法人日本教育再興連盟では学生を活動の中心に置き、学生のボランティアプロジェクトでは、 毎週のように学生たちが東京近郊、 京都近郊の小学校を中心とした提携校の先生方と意見交換しながら、子どもたちの学校教育のサポートをしています。
関東学生事務局で約100数十人の学生、 関西学生事務局で約60名の学生が活動に参加しており、その日常的な活動の一つの成果が、 教育夏祭りです。
| 緑色のTシャツが学生スタッフ。各テーブル2名のスタッフに5~6名の児童生徒(学年は縦割り)で構成。 |
| 24日アイスブレーキングタイム。名前を覚えるゲームの説明中。 |
| 午前中はアイスブレーキングののちお勉強タイム。宿題が終わった子たちには大学生からの挑戦状が。 |
| 子どもたちがグループでの仲間作りと宿題をしている間、行われていた保護者教員向けプログラム |
| お弁当を食べて午後は子供熟議。準備のためのワークとして自分史年表を作成。 その1・・・今から60歳になるまで、どんな風に生きていきたい? その2・・・良きロールモデル大学生のおにいさんおねえさんの年齢になるころ、私は何をしていたい? |
自分史年表の発表を聞きあった後、
「その夢をどこで実現させたい?」という導入で子供熟議の始まり。
「理想の町とはどんなところ?」という主題でラベルワークが始まった。
議員、教育関係者が大勢机間巡視。
| ごめんなさい、どうしても写真が横向きにしか… |
各般の発表内容を総合すると、子どもたちの理想の町とは「健康的」「自然が豊か」「交通が便利」「子どもがいっぱいいる」「経済的に潤っている」「最新の科学都市」「ゴミがない」「安全」「文化的施設やアミューズメント施設や商業施設がたくさんある」「人間関係が潤滑」「正しい政治が行われている」「歴史や日本文化とふれあえる街」「人間も動物もみんなが生きていける街」・・・住んでいる自分たちも毎日楽しく過ごせて、みんなが行きたくなるような田舎と都会の長所を併せ持った街のようです。子供たちの率直で純粋な意見に、これからの福島の進むべき道が垣間見えました。
| 発表中 |
| 「徹底反復学習」で有名な陰山英男先生(二本松市教育アドバイザー)が 「勉強しようぜ」という自作ロックミュージックをご披露してくださった! 勉強しなくちゃなあ…という気持ちになりました。 |
| 参加大学生(東大・京大・早慶・その他の大学)からの歌のプレゼント |
2013年8月1日木曜日
NPO法人・福島の子供たち香川へおいでプロジェクト活動報告
香川県高松市にある「NPO法人 福島の子供たち香川へおいでプロジェクト」。
http://fukushimanokodomo.ashita-sanuki.jp/(カトリック高松教区桜町教会・聖母被昇天修道院でも支援しています。)
このプロジェクトは、2011年以来これまで、長期休暇中の4回の保養プログラム、ホームステイ、年間を通じての「おいでハウス」(冷蔵庫などの家具完備。香川で滞在し自主避難先を決める際などの足掛かりとしてご利用可)での受け入れなどで、延べ約340人の福島(とその近県)の子供たちと保護者を香川におよびくださいました。
また、自主避難者の移住支援や移住してきたご家族の交流支援、子供の見守りボランティアにも取り組み、息長く活動を続けていくために2012年11月にNPO法人化なさいました。
福島のことを他人事と思わない。
遠いからこそ出会うことで福島を身近に考える機会が生まれる。
受け入れる側としては毎回同じ施設を利用した方が楽ではありますが、できるだけ多くの香川の人に福島のことを考え、関心を持っていただく機会を提供したいとのことで、様々な地域での企画を行っているそうです。
2013年度の夏休み保養プログラムでは以下の内容で企画し、教育委員会などの行政・企業・教育機関・カトリック教会・プロテスタント教会・仏教寺院等のご協力を得て、すでに参加者が決定しているそうです。
受け入れ側ボランティアには中高生から70代までの年齢も職種もさまざまの方々が参加されています。
1) 実施期間:2013年8月6日(火)~8月16日(金)の10泊11日間
(往復とも借り上げ送迎バス)
お問い合わせNPO法人・福島の子供たち香川へおいでプロジェクト
http://fukushimanokodomo.ashita-sanuki.jp/(カトリック高松教区桜町教会・聖母被昇天修道院でも支援しています。)
| 2013年春休みのパンフレット表紙 |
このプロジェクトは、2011年以来これまで、長期休暇中の4回の保養プログラム、ホームステイ、年間を通じての「おいでハウス」(冷蔵庫などの家具完備。香川で滞在し自主避難先を決める際などの足掛かりとしてご利用可)での受け入れなどで、延べ約340人の福島(とその近県)の子供たちと保護者を香川におよびくださいました。
また、自主避難者の移住支援や移住してきたご家族の交流支援、子供の見守りボランティアにも取り組み、息長く活動を続けていくために2012年11月にNPO法人化なさいました。
| パンフレット内の記事です! |
福島のことを他人事と思わない。
遠いからこそ出会うことで福島を身近に考える機会が生まれる。
| プロジェクトの紹介 |
2013年度の夏休み保養プログラムでは以下の内容で企画し、教育委員会などの行政・企業・教育機関・カトリック教会・プロテスタント教会・仏教寺院等のご協力を得て、すでに参加者が決定しているそうです。
受け入れ側ボランティアには中高生から70代までの年齢も職種もさまざまの方々が参加されています。
| ボランティアの感想 |
1) 実施期間:2013年8月6日(火)~8月16日(金)の10泊11日間
(往復とも借り上げ送迎バス)
(8月6日早朝、福島を出発して同日夜、香川着。8月16日早朝、香川を発って同日夜、福島着)
2)滞在場所:香川県立屋島少年自然の家(高松市屋島東町34-1)
3)活動内容:手づくりカヤック体験、魚釣り、プール、浜遊び、川遊び、うどん作り、スポーツ、オカリナ体験、キャンプファイアーなど。
4)募集定員:福島県および近県の放射能の不安を抱える地域に住む子どもたちとその保護者41名
(乳幼児から中学生まで。小学校低学年以下は原則として保護者同伴とします。過去には高校生以上の浪江町で被災した生徒がボランティアとして参加し、大活躍したそうです。)
5)費用等 :参加費・交通費・滞在費・食費を含め、大人1万円、子ども5000円
借り上げバスで香川から福島の子供たちを迎えに来てくださるわけですが、送迎の往復が空のバスではもったいない。福島に向かうバスには既に香川に移住している自主避難の皆様をお乗せし、福島から香川に移住してこられた方の里帰り支援として使用しています。
| 参加者の感想 |
借り上げバスで香川から福島の子供たちを迎えに来てくださるわけですが、送迎の往復が空のバスではもったいない。福島に向かうバスには既に香川に移住している自主避難の皆様をお乗せし、福島から香川に移住してこられた方の里帰り支援として使用しています。
それでも空席が出た場合、香川から福島に視察に行きたい方への交通手段として片道5000円でご利用いただけます。
(この利用料金はNPO法人の活動費として使用されます。ご利用に関しては「福島の子供たち香川へおいでプロジェクト」に直接お問い合わせください。)
(この利用料金はNPO法人の活動費として使用されます。ご利用に関しては「福島の子供たち香川へおいでプロジェクト」に直接お問い合わせください。)
お問い合わせNPO法人・福島の子供たち香川へおいでプロジェクト
理事長:伊藤洋
事務局:〒760-0222 香川県高松市西内町7-25
tel/fax:087-813-0715
<2012年度活動概要>
●保養プログラム
●保養プログラム
2012夏休み保養プログラム(8.9~8.20)
2012冬休み「おいでファミリー」でのホームステイと「おいでハウス」での保養受入れ(12.24~1.4)
2013春休み保養プログラム(2013.3.24~4.4)2012冬休み「おいでファミリー」でのホームステイと「おいでハウス」での保養受入れ(12.24~1.4)
●福島と向き合う講演会
「子どもたちを守るために知っておきたい食べ物と放射能のこと」(5.13)
「子どもたちを守るために知っておきたい食べ物と放射能のこと」(5.13)
「飯館村であの日、何が起きたのか」(6.16)
●避難者交流支援と原発事故子ども・被災者支援法関連事業
子ども・被災者支援法を考えるカフェトーク(11.25)
避難者がつくる京都公聴会参加(11.28)
クリスマス交流会(12.26)
原発事故子ども被災者支援法フォーラム(2013.1.19)
避難者の会「かがわ・手をつなごうプロジェクト」の立ち上げ支援(2013.1.19)
松山での復興庁・環境庁との対話集会in四国を共催(2013.1.19~)
3.11四国避難者フォーラム「まだ終わっていない3.11…あれから2年、今、四国で」(2013.3.10)
避難者がつくる京都公聴会参加(11.28)
クリスマス交流会(12.26)
原発事故子ども被災者支援法フォーラム(2013.1.19)
避難者の会「かがわ・手をつなごうプロジェクト」の立ち上げ支援(2013.1.19)
松山での復興庁・環境庁との対話集会in四国を共催(2013.1.19~)
3.11四国避難者フォーラム「まだ終わっていない3.11…あれから2年、今、四国で」(2013.3.10)
| 3.11四国避難者フォーラム「まだ終わっていない3.11~あれから2年、今、四国で」 |
●活動報告、他の支援団体との連携等各支援団体施設でのパネル展示(10回)・活動報告(3回)
フェスティバルFUKUSHIMA!参加
広域避難者支援ミーティングin四国での活動報告と情報交換
広域避難者支援ミーティングin四国での活動報告と情報交換
3.11受入れ全国協議会運営会議参加
2013年7月16日火曜日
除染作業
カトリック二本松教会のはす向かいにあるアパートでは除染作業中です。
市からの要請を受け、9人体制の専門業者のみなさんが作業にあたっておられました。
まず草を刈ってから、表土をブルドーザーで削り取り、大きな黒い袋に詰めていきます。
大きくておいしそうな野蒜がごろごろ出てきていました。
削り取って袋に詰めた土は...?置き場が決まっていない...。捨て場も処分の仕方も決まっていない...。
ではどうするのかというと、
敷地の隅に大きな穴を掘って水を通さないシートを敷き、そこに先ほどの黒い袋を重機で持ち上げては並べて入れます。
中の土が漏れ出さないようにしっかりシートでふたをします。
その上から放射能汚染されていない山砂をかぶせ元通りにして除染完了。
ブルドーザーが入れない狭い敷地では手作業でこの作業が行われています。
この作業、一回したら終わりではなく、シートの耐久性を考えたら3年後までにはやりなおさなければならない。
それまでに汚染土の置き場が決まったら掘り返して黒い袋を移動することになります。
でも、決まるのでしょうか...?
作業をしている人も、要請した人も、近隣の人も、居住者も・・・皆が問いたい。
この作業に効果はあるのか、実りはあるのか、元の福島を取り戻せるのか?
今できること...それをただ黙々と続けるしかないフクシマ。
「フクシマは危ない!」「フクシマから逃げろ!」
・・・だけではなく
「フクシマ」を「ふくしま」にするために何ができるかを一緒に考えてはいただけませんか?
福島はあなたの国の一部です。対岸の火事の出来事ではないのです...。
市からの要請を受け、9人体制の専門業者のみなさんが作業にあたっておられました。
![]() |
| 表土を削って黒い袋に詰めています |
まず草を刈ってから、表土をブルドーザーで削り取り、大きな黒い袋に詰めていきます。
大きくておいしそうな野蒜がごろごろ出てきていました。
削り取って袋に詰めた土は...?置き場が決まっていない...。捨て場も処分の仕方も決まっていない...。
ではどうするのかというと、
敷地の隅に大きな穴を掘って水を通さないシートを敷き、そこに先ほどの黒い袋を重機で持ち上げては並べて入れます。
![]() |
| この袋、耐久性は3年… |
その上から放射能汚染されていない山砂をかぶせ元通りにして除染完了。
ブルドーザーが入れない狭い敷地では手作業でこの作業が行われています。
![]() |
| 車が入れないところは手作業で表土を削ります。 |
それまでに汚染土の置き場が決まったら掘り返して黒い袋を移動することになります。
でも、決まるのでしょうか...?
作業をしている人も、要請した人も、近隣の人も、居住者も・・・皆が問いたい。
この作業に効果はあるのか、実りはあるのか、元の福島を取り戻せるのか?
今できること...それをただ黙々と続けるしかないフクシマ。
「フクシマは危ない!」「フクシマから逃げろ!」
・・・だけではなく
「フクシマ」を「ふくしま」にするために何ができるかを一緒に考えてはいただけませんか?
福島はあなたの国の一部です。対岸の火事の出来事ではないのです...。
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