鍵谷さんは「継続して友達になっていくことこそカトリックのボランティアかな?」と考え、すでにある仮設のプログラムに「小さな者として、毎週そこに居させていただく」「参加させていただく」かかわり方を心がけていらっしゃいます。(「仙台教区復興支援活動ニュースレター4→6・45通信」第1号 2013年5月1日発行 参照)
仮設の方と鍵谷さんは、本当のお友達としてのつきあいをしています。
以後、鍵谷さんからの報告書に出てくる仮設の方を「お友達」と表記します。
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水曜毎に通っております「おだがいさまセンター」での編み物教室の先生は、同じ富岡のいわき仮設の知人訪問でした。そういう訳で、教室でいつもの「お友達」の皆さんにお会いすることはできませんでしたが、敷地内の方宅を訪ねました。
「お友達」は仮設で一人暮らしをなさってる女性の方です。
おしゃべりの中で、「お友達」はご家族のご様子や現状を細かくお話しくださり、「お友達」のお身内の案内で郡山の商店や食事処は今では地元の方と同様に利用されているなど震災からの年月の経過を知りました。
仮設は薄壁ゆえに、テレビや入浴の音、電話の声にもお隣への気遣いがストレスになっております。しかし、それにしましてもいられる間は仮設を離れるつもりはないと「お友達」は話してくださいました。自分の子供も別に家庭を持っていますが、身内であっても頼るのは、難しい現状とのこと。
手作りの手芸品の数々を見せていただくにつけ、お一人暮らしの年月を想像いたしました。
またの訪問を約束いたしましたが、何も持たずに訪ねるこちらこそがご奉仕をいただいた心持ちでした。
「こちらがしていただく」―この形でよい、と言い聞かせながら…。
所感―仮設の入所割り当てをした当初、町ごととはいえ、くじ引きのため、かつての近隣の方々がばらばらの仮設に割り当てられ、あまりにも離れすぎているところがあるなど、コミュニティーの連帯の難しさが見えている気がいたします。手立てを持たない弱者の孤立が心配です。
以上ご報告まで
2013年7月17日
カトリック郡山教会信徒 鍵谷和子
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