その様子の写真をご覧ください。
被災地にオープンしたカフェ
まずは、小高区役所内にオープンしたカフェで昼食 |
お弁当400円でした!おまけ(左)も頂きました。 |
明るくおしゃれな店内です。
人口が激減した町でのオープンですので、
皆様食べにきてくださ~い!
|
車のナンバーと乗車人数を記録して、
通してくれました。
|
今までは警戒区域で、一般人は入ることができませんでした。
線量が下がって入ることができるようになりました。
|
津波で流された自家用車。持ち主が分からないので、 勝手に処分することができず、今もあの日のまま... |
漁船も陸に打ち上げられたまま... |
津波で崩壊してしまった民家。
残っているのはしっかりした作りだったということでしょう。
しかし、放射能のため、取り壊す作業もできない...
|
このように土台しか残っていないところも たくさんあります。 |
誰が作ったのか...慰霊碑が。 訪れた方々のお供え品も。 |
道路のガードレールも 曲がったまま... |
請戸小学校の現在の様子
海のすぐそばにある「請戸(うけど)小学校」です。 |
昇降口です。左側に茶色の靴箱が見えます。 |
ここは職員室。
|
職員の靴箱。靴も当時のまま。 |
体育館。「祝 卒業証書授与式」と書かれています。
その準備中に...床が大きく沈下してしまっています。
さらにたくさんの鳥の鳴き声が...鳥の住処と化しています。
外から撮った教室の様子。 |
二階にはたくさんの児童たちのトロフィーがそのまま残っていました。
ここだけはきれいでした。すぐ隣りにはパソコンが並んでいましたが、
窓から入ってくる鳥のフンの被害がひどい...
|
各教室の黒板には自衛隊の方や訪問者が 励ましの言葉を書き残しています。 |
今から13年前に建てられたばかりの小学校だったのですね。
1学年1クラスという小学校で、設備の整った豊かな
学校生活ができるように作られていました。残念です。
|
浪江町のある民家を訪問
ここは離れでおじいさんとおばあさんが住んでおられたところ。 |
2012年3月12日の「福島民友」新聞。 |
母屋の中の様子。町中にありますので津波の被害はうけませんでしたが、
地震の被害と、その後の放射能からの避難のために放置された結果、
野生化したブタさんに荒らされたとのことです。 |
浪江町の様子
事故直後からずっと開店して頑張っている
お肉やさんです。肉の卸しと販売を
しています。
|
コロッケなどがとても安く、しかもおいしかったです!! |
唯一、事故後もずっと開店してがんばっている床屋さん。 お客さんはどのくらい来るのかな? |
民間のボランティアセンターです。事故直後から今もなお、 がれき撤去等のボランティアを続けています。社協の募集 よりも、こちらの方が多くボランティアは集まっているらしいです。 |
ソーラーパネルです。放射能汚染で使えなくなった畑の上に
設置しています。蓄電して電力会社に売るという新たな産業の
試み。
(写真・文責 福島デスク 柳沼) |
0 件のコメント:
コメントを投稿