2013年4月30日火曜日

今日の浪江町の様子


4/30(火)、浪江町の一部に入ることができるようになりましたので、視察に行ってきました。
その様子の写真をご覧ください。
被災地にオープンしたカフェ
まずは、小高区役所内にオープンしたカフェで昼食
お弁当400円でした!おまけ(左)も頂きました。



明るくおしゃれな店内です。
人口が激減した町でのオープンですので、
皆様食べにきてくださ~い!
警戒区域だった浪江町に入りま~す

車のナンバーと乗車人数を記録して、
通してくれました。
今までは警戒区域で、一般人は入ることができませんでした。
線量が下がって入ることができるようになりました。



津波で流された自家用車。持ち主が分からないので、
勝手に処分することができず、今もあの日のまま...


漁船も陸に打ち上げられたまま...


津波で崩壊してしまった民家。
残っているのはしっかりした作りだったということでしょう。
しかし、放射能のため、取り壊す作業もできない...


このように土台しか残っていないところも
たくさんあります。






誰が作ったのか...慰霊碑が。
訪れた方々のお供え品も。 
道路のガードレールも
曲がったまま...

漁港です。


船の船尾が建物の二階に折れてはまっているのが
分かりますか。

かつてこの漁港は活発な営みがあったことを
思って言葉を失います。


船をつないでいたロープが切れてしまったのですね
 
請戸小学校の現在の様子

海のすぐそばにある「請戸(うけど)小学校」です。
昇降口です。左側に茶色の靴箱が見えます。
ここは職員室。

職員の靴箱。靴も当時のまま。

体育館。「祝 卒業証書授与式」と書かれています。
その準備中に...床が大きく沈下してしまっています。
さらにたくさんの鳥の鳴き声が...鳥の住処と化しています。
外から撮った教室の様子。
二階にはたくさんの児童たちのトロフィーがそのまま残っていました。
ここだけはきれいでした。すぐ隣りにはパソコンが並んでいましたが、
窓から入ってくる鳥のフンの被害がひどい...
各教室の黒板には自衛隊の方や訪問者が
励ましの言葉を書き残しています。
今から13年前に建てられたばかりの小学校だったのですね。
1学年1クラスという小学校で、設備の整った豊かな
学校生活ができるように作られていました。残念です。
浪江町のある民家を訪問
ここは離れでおじいさんとおばあさんが住んでおられたところ。

2012年3月12日の「福島民友」新聞。


母屋の中の様子。町中にありますので津波の被害はうけませんでしたが、
地震の被害と、その後の放射能からの避難のために放置された結果、
野生化したブタさんに荒らされたとのことです。

浪江町の様子
 
事故直後からずっと開店して頑張っている
お肉やさんです。肉の卸しと販売を
しています。
コロッケなどがとても安く、しかもおいしかったです!!
 
唯一、事故後もずっと開店してがんばっている床屋さん。
お客さんはどのくらい来るのかな?
民間のボランティアセンターです。事故直後から今もなお、
がれき撤去等のボランティアを続けています。社協の募集
よりも、こちらの方が多くボランティアは集まっているらしいです。
 

ソーラーパネルです。放射能汚染で使えなくなった畑の上に
設置しています。蓄電して電力会社に売るという新たな産業の
試み。


                                                      (写真・文責 福島デスク 柳沼)

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